人間成就

如来の真実に救われるには自ら如来の直言に向かって歩み続けねばならぬ。今世で最後の歩みを止むことなく続けなければ今後、幾世の人生を賭けても到り届かぬものなのだ。後はないのだ。歩み続けてゆくと、やがて真実に近付くたびに畏怖恐怖を覚えてくるようになる。
いろいろな言い訳を自らにするようになる。まだ意味が分からん、これをやってから、まだ間に合うだろう。ほかにもすることがある等々。自らに甘く問いかけて後退だ。不安になって、又近づくとまた遠ざかる、永劫の迷いを繰り返す。この迷いの繰り返しが今のこの私の心なのだ、体なのだ、子の姿なのだ。救われていない証拠がこれなのだ。
 全力理性知性をもって体ごとぶつかって、何にも手ごたえがなくなって、虚しく救われない私がここにいると寂寥感を無人の荒野を彷徨い倒れた時、初めて如来の壁に自力の思いがぶつかって、こちらが全身全霊砕け散ったことを知った後に、この身を一つ一つ丁寧に拾い集められて再び如来の息吹を吹き込まれて再生したのが信心獲得した真の私の姿なのである。それから、真実の心と言葉が一つになった念仏が誰でもが自然に出始めてくるのである。
 ここで初めて私の根本的な人間の心の基礎が、何世もかかった人間の根本課題が、この世で初めて私の課題として初めて成し遂げられたというのであろうと思うのです。こういう課題を人間はみな持っていて、それぞれが、それぞれの世界で解決してゆくことが出来る。これを人間成就というのだと思います。

 なんまんだぶつ
  なんまんだ 

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