「除く」とは

 私の中の宗教心的精神界には五逆誹謗はないというのが正しい在り方であろう。しかし、それが、そこに混じっていたら純粋な宗教心としてのはたらきが出来なくなるのではないのか。本来の目的が全ての衆生を救うというのであれば、特別な救済枠などと言うものを造らねばならなくなり、純粋さが保たれなくなる。すべての者を救う慈悲と智慧が充分に用かなくなる。
「除く」はそれを完全否定するものであるが、私の中には存在し続けるものであり純粋な精神界宗教心を保つための主体がなければ十分機能しないし、それまでは、それぞれが混乱してどちらが主体なのかが判然としてこなかったものがここで完全に分離されることによってはじめて五逆誹謗正法に正しい居場所が確保されることになったのである。この時点で煩悩が煩悩の能力を十分に発揮できるように与えられ宗教心も同じく本来の個性が輝きだしてくるようになったのである。
 この除くという宗教心の分離と独立のはたらきという独立宣言によって二つのものが一つに統合され完全矛盾の自己統一の世界が初めて人間に与えられることになったのである。本来の人間の主体がどちらに当たっているのかが判然としたのである。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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