絶体絶命の命

 絶体絶命の命とは誰の命かと思った。必ず命がなくなる時だと思っても、まだ命はあるのだろう。しかし、命がもうないと本当に感じられたらもう先のことも後のこともなくなるのだろう。もう無いと思ったら何も考えられなくなるのだろう。そう思った時、人の心に現れるのは今まで忘れていた心がよみがえってくるのだという。その中には今まで忘れていた仏の心も含まれてくるのだろう。それが人間の心の仕組みらしい。走馬灯のように現れる一瞬の自分の人生を見ている心は仏のような平等な心だと思う。その人間の本当の命の命は今まで信じられないと絶体絶命だと思った心を支えてきた仏の心なのかもしれない。そんな仏のような平等な命に目覚めるために人間は何度も何度も絶体絶命の命を質に出していたのかもしれないと思った。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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