汝一心にして直ちに来たれ

汝と名指しされた人は一般の人ではない。この言葉にふれた人、その人に限られるのである。主観的にこれを読まなければ宗教書はすべて意味がないように、私のことであったと聞くことが大事だ。何時とは私の名前を単に、アミダ様がひょっとしたら、いつの時には、一回ぐらいは興味本位でもいいから耳を傾けてくれるかもしれないという呼びかけではない。私、釋是深の全存在を丸ごと指した言葉になったアミダ様の呼びかけなのである。しかも、そこには人間に通底している、救われ難い心を持ったまま救うという宗教心の発露でもあるのである。私一人の孤児と全人類全生命の過去と現在と未来を迷い続けて来た魂の共済への目覚めを促しているのである。弥陀の本願以外の方法では救われないと見限っての真実のはたらき掛けであるところからの私個人への呼びかけとなっていると言ってもいいのである。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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