悠久の今

一日一日を大切に生きる。今を精一杯生きればそれでいいという。
今を充実して生きるというけれど、その今が今から今へと続いてゆくだけじゃあ、それなりの蓄積の結果は何かしら得られるだろうが、ただ単に質的な転換もなくだらだらと続いてゆくような気がしないでもないのです。
 今とは何だろうか。本当の今とは何か。今が本当の今になっていたら今の連続でわなしに、一瞬の今だけでもいいような気がするのです。
 本当の今は今の中に永遠に変わらぬ今と言うものを持っていないと刹那的な今の連続になってしまうのではないのか。だから変わらぬ永遠から与えられたような今になっていれば今を継続しなくてもいいのではないのか。だから永遠の今から与えられている今だといいはずだ。永遠の悠久の今の中にいる感じの今なら本当の今に安住できるのではないのか。私に与えられた今を自分の力で、悠久の今に生きている今にするのは大変だけど、仏様に与えられ、教えられ、育てられれば、一瞬か、長い時間がかかっても誰にでも与えてくれる時が来るのだと信じます。そうでなければ今の今と言っても、7言葉だけで悠久の時に抱かれ、与えられた今の時を今、十分に味わうことが出来ないように思います。
すでにみんなその中で生きていることに気が付くことが大事だと思います。

 なんまんだぶつ
 なんまんだ

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