存在証明になっている

家と言う字がある。この字を見ただけで家の姿が彷彿してくる。白い家。家の造り。用途や寿命まで心に浮かんでくる。
字となった言葉には人間にとってその名前があることがすでにそこに実際の者が存在していることと同じだ。名前の付いている者はすべて存在しているものの名前なのだろう。阿弥陀仏も名前が付いているからには、その姿とかはたらきとか、救われた人々がすでに何世紀にもわたっていたからこそ限りない命の仏、とか限りない光の仏と言う実在の仏として証明され名付けられていたのだろう。
名前がすでにそのものの存在証明でもある。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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