スポーツ選手の言葉

スポーツ選手だから宗教的信念、信心獲得した親鸞とは違う精神世界に生きている人だとは限らない。魚屋・八百屋、コンビニ、ス―パ―の人達だって政治家だって、どんな分野の人でも、その仕事を一生懸命していたら、ふとそんな仏の信念、世界観を貰っていたって不思議じゃないと思います。
仕事でもスポーツでも厳しい自己鍛錬は僧侶以上の世間虚仮の世界を味わっているに違いない。その中からスポーツの神様仏様が生まれたって不思議じゃないのだろう。
同じ人間の精神構造を持っているのだから。ただの利益追求だけではない。顧客ニーズと言う戦略は当然自己啓発にもなるのでしょう。もし、そんな世界でふと、そんな宗教的核心を得ていたら仏教の言葉に汚れていない、天然自然の仏の言葉になってその人の言葉になって出ているに違いない。
スポーツの神や仏と直接対話して勝ち取った言葉は自分の言葉になって、仏の言葉となって、世間の言葉に染まらぬ自然にその身から出てくる言葉になって、でてくるに違いない。私はそれを信じて、スポーツ選手や今どんな仕事をしている人からでも、多くの人の言葉から、そこにアミダ様からの言葉を感じとっていきたいのです。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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