救われ続けてゆくだけだ

 救われるって、自分に何かを加えたり、減らしたりすることなく今ここに与えられてある私の全てに気が付くこと。
 汝自身を知れ、限界を超えるなとデルフォイの神託にあるように、知る努力して自らの心の全てに気付くことであり、知った自分に自分がなってゆくと言う事でしょう。知ることが、やがて自らを信じるところまでいかなければ、本当に知ったことにはならないのでしょう。
 信と知が一如になることだと思うのです。つまり、自分が自分になってゆく。人間が人間になる。私が本来の一つの私になる。本来の自分に帰ってゆく。つまり、生まれた時から人間は一つとして生まれてきてはいないのです。二つになって生まれてきているのです。しかも、一つは仏としての未知な部分として隠れ持っているのです。
 だから人間が人間になりたいという人間の根源的で純粋な本能的な根本欲求という願いを持っているので、それに従って生きることができれば、そこに自然に心が本当の幸福を感じ満足する仕組みが心の構造上本来備わっているのです、幸福になるように本来から予想されて願われている人間存在なのだと思うのです。

ナンマンダブツ
ナンマンダ

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
命の記憶(03.12)
信心の興り?(01.04)
命の繋がり(01.03)
(untitled)(01.02)
(untitled)(11.27)
(untitled)(11.25)
呼び声(11.17)
信心(09.24)
うまくいかないね(08.03)
ブッダの言葉じゃダメなんだ(08.03)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS