吾(われ)一人だけが尊いのではない、私が本当に平等に純粋に尊いなら我々一人一人が尊いのだ。人に生まれたことがまず尊いのだ。なぜなら人に生まれて人になれるから尊いのだ。それは仏の命に自覚的に目覚めることが出る存在だからだ。
人に生まれた時に人に備わっている仏の命の願いに目覚めることができる一回だけのチャンスが天から仏縁として賦与された尊い宝だからだ。
 私でありながら私を超えた尊い仏の命の願いに目覚める目的を完成させるための人生なのだからだ。仏のもっている本当の勇気や愛や希望に生きるための私の人生なのだから本当に尊いのだ。
 ナンマンダブツ
 ナンマンダ

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