なぜこんなに美しい

 どうして宗教心という美しい心が醜い人間ごときに生まれたのだろうと思うときがあります。
たぶん、それは地中深くうずもれていた石炭が長い年月かかって思い重圧を受け、一番圧力が強かったところだけが綺麗なダイヤの結晶になるようなものかなと思うのです。貴重で希少なダイヤの鉱石ですが、人間が持っているダイヤのような美しく永遠性を兼ね備えた宗教心を発掘し、発見することはダイヤ以上に奇跡なことだと思います。
 「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり」(愚禿悲歎述懐和讃)と親鸞は言いましたが、このような人間がもつ悪の限りを尽くしていたら、漆黒のダークサイドの悪性の塊の中から、その闇に耐え切れなくなった悪性から、考えられないような善性を持つホワイトサイドの宗教心が変質的に生み出されてきたと思うのです。
 この世には単独で成り立っているものは何もありません。すべては何者かに支えられ与えられ、まじりあって生きています。そう考えると悪性といえども、その中に善性が少しぐらいこもっていても不思議ではありません。そう考えた方が自然ではないのでしょうか。
 また例えば、硬い蓮の実はまるで石のような硬さです。しかし、その中から,外の環境を敏感に察知して泥を味方に付けた中だからこそ美しい蓮の花を咲かせるようなものだと思うのです。
 この秘密の扉はその中を覗き込むことができた人間にだけに限られた特権かもしれませんが、その特権は普遍的な特権ですから、けっして特殊なものではありません。その中を覗けば仏と何時でもずっと楽しく生きてゆける世界ですが、それは誰にでも与えられるダイヤのように永遠に輝く自由な世界なのです。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

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