山は山

 聖道門も浄土門も本願力で開かれる
人間の努力意識で仏の世界が開けたら
いつでも人間が土足で踏み荒らす
自力の力で覚れるならばそれは他力の世界の半自力

 最後は必ず自分を超えた世界を得るには
超えた世界から助けてもらう、開いて
もらわなけりゃならない道理は必然だ
その向こうからからくるはたらき力を絶対無
と言おうが本願力と言おうが人間が作ったものじゃなし
 そのはたらき力に一番近い言葉が無量寿無量光
この二言で事足りる
 真実のはたらきに一番近いはたらきが分かりやすい言葉になっている
だからお釈迦様もインドの言葉で同じ意味のことを言っている
 ナムアミターユスナムアミターバ翻訳すれば無量寿無量光これにご丁寧に
南無まで付けてまとめて南無阿弥陀
 山にいろいろな名前を付けても山は山
ただの山に違いない
ナンマンダブツ
ナンマンダ

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