内に超えて外に立つナンマンダ

アミダと呼び続け、助けられたいと思って救われたとき、向こうの方がすでに私を呼び続け、自らアミダと名乗っていたことに気が付くものでしょう。救われたときがなければ,いくらアミダが名のっていても、他人事でしかない。この客観的事実が私たちの内在的超越となって私の主観的な事実になっとき、弥陀経意和讃(486)「阿弥陀と名づけたてまつる」、唯信鈔文意(554)「心も言葉も及ばぬ一如よりかたちをあらわして」との宗教的真理が私に於いて救済の事実となった時はじめてこの名乗りが成立するのである。

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