ーたて糸はあなたー

 無量寿経に「その名号を聞きて」と17願門にある。
念仏は私個人の救いではなくアミダの共同救済の念仏だ。個人で私有化できないとは、個人の中に共通する仏の清浄な意識があり、それが平等意識の根源になっているのだろう。しかも、個人レベルの意識を超えるために、念仏の歴史上、多くの先達という念仏の諸仏方がいたし、現に念仏している個人の周りにはすでに念仏している念仏者たちがいたのだから、その念仏者たちの言動に励まされ、どのような個人であれ信心も頂くことができるようになったのだから、諸部念仏を聞かなければ助からなかったのである。その諸仏の念仏が個人の念仏となってここに独立した信心を頂くことができ、それがまた諸仏の念仏として、次世代の念仏者を育てて来た念仏の精神史があったのである。
 たとえて言えば、中島みゆきの「糸」ではないが、縦糸はアミダ。横糸は諸仏の保証書付きの念仏者による一枚の念仏の反物によって私がいま、包まれているところに私が救われた歴史も一本の横糸になるという事である。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

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