ゼロに帰る我なれど

 この世は不思議なゼロというはたらきから出来ている。

 良いことの中に悪いことも一つになって入っている。

 ブラスとマイナスがないと、一つのものが出来ることが出来ない仕組みになっているようだ。それなら微細な世界も善悪も正反も一つになって出来ているのだろう。

 それなら私も善と悪というようなもので出来ているのだろう。

 それなら絶対ゼロのあみだ様に救われたなら、やはり、救われないままの部分が真理に対抗する罪悪深重の身を持って救われないままに、この身が阿弥陀様のはたらき100%で救われていくことが一つになってみんな救われてゆくことになるのだろう。

 これが救われると言う原理のようなものになるのだろう。

 自己の真実を知ることが、アミダという真実のはたらきを知ることが、私の中で同時進行して元のゼロの世界に帰るこの世での、この身の準備が正定聚不退転という事にもなるのだろう。

 アミダがあればわれはあり、我があればアミダあり。という縁起の道理の関係存在がここにも成立してくるのだろう。

なんまんだ

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