人間の証明

 
 目に見えない真実一如というゼロ空間のはたらきを空とか浄土とすれば、そのゼロのはたらきに包まれている全存在を確実に自覚し認識できるものが吾らの悟りや信心の中には必ず存在しなければならないはずである。

 例えばアミダの機法一体が吾らに与える信心にゼロ存在が存在し、我らにその世界に向かわせる働きをなしていると見なければ真実一如に向かわない。

 つまり、信心や悟りは我らをゼロの世界に向かわせなければ吾らの生死一如の根本問題の解決にはならないのであろう。

 つまりこの迷いの扉を開けるカギは真実のはたらきという融通無碍の命をもって開扉しなければならないのである。

 故に我らはこの信心の秘めたる鍵を手に入れて生きてゆかねばならぬ宿命を持った存在でもあるのである。

なんまんだ

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