豚もおだてりゃ木に登る。

 
 阿弥陀様に頭が下がったと言う事は、それまで下げさせずに意識的に形だけ下げていた自我意識というか煩悩という末那識が折れていなかったと言う事だ。

 今まで生きてきた経験と努力意識が頭を仏に下げさせなかったツッパリ棒があったからだ。

 それは一度折れてもまた無意識に頭を支え続けるばかりか、頭を人より上げさせてしまう大切なはたらきがあるからなのである。

 それでは一度頭が下がったとしても無駄ではないかと言うが、そうではない。一度折れがついたツッパリ棒は、仏の教えに会えばすぐへなへなになるから安心なだけだ。

 その棒は生きている間無くならないから大切にした方がいい。それも私が仏の教えを聞くために必要な大切な一部なのだから。

 豚殿には申し訳ないが、豚という煩悩は何度木から落ちても、ほとぼりが冷めたころには懲りずにまた何度でも木に登りたがるものなのだから。

なんまんだ

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
念仏の矢が当たらない。(05.16)
長生不死の法を生きてみる。(05.15)
親鸞かく戦ぬ。(05.13)
ブッダと親鸞の常備薬。(05.12)
大谷翔平を信ずる心。(05.11)
今日の夢想庵。(05.11)
平和時代(05.10)
それが真っ逆さまに地獄に落ちている顔だ。(05.10)
闇は光の友達だ。いつも一緒で仲がいい。(05.07)
心は浄土空間さえも駆け巡る。(05.04)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS