許せないものは許すしかない

 許しても、許されていないと思っている人は許している人のこころは一生わからないままだ。

 許されていると思えるのは、許している人の心を知って信じることしかないのだが、その信じる心の準備がないとそうはならない。一生相手を許さないし、結局自分も許せないまま心の牢屋に閉じこもったままになるのだろう。

 許した人は自分が信じている憎しみの許さない心を仏さまに出会って許されていることを知って心の重荷がとけた人になるからだろう。

 そして、愛することが相手を許すことになり、それによって自分自身が生きることをずっと許されていたことを知った時からなのだろう。

 だから、同じ憎しみの土俵から降りることが出来た人になったときから許せる人になれるのだろう。

 憎しみ続けている人もやはり、一度、その土俵から降りなければ笑顔になれないのだろう。

 しかし、憎しみのままで自己を正当化としてゆくのが人間の業の歴史なのかもしれないが、その世界から誰でもが憎しみの連鎖から離れて平安を得ることが出来ることを知らせて来たのが宗教なのだろうけれども。

 なんまんだぶつなんまんだ

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