本当は何もないのかもしれないな

縁にはプラスとマイナスがあるようだ。

生きている時はいつもプラスだけを求めて悲しいマイナスは切り捨てている。

生きている中にきっとマイナスがあるからプラスが輝いて見えるだけなのだろうけれど。

それなら人生が輝いているものならば、その中での最後の人生の死の縁もそれなりに死があって生が成り立っているのなら死の輝きというものもあるのだろう。

そうでなければ全てが仏縁というもので仕切ればそうならざるを得ないから。

もし、生の輝きと同じように死にもの死の輝きを見つけることが出来たなら、どちらも受け止めて行けるような、死も生も同じ人生の友の輝きとして受け入れていける人生になってゆく事が出来るんだろうな。

もともとそんなプラスもマイナスもない事実という世界が縁のほんとの生きた世界なのかもしれないな。

 なんまんだ

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