二つのものが一つになっ生きている

 私が足を動かす、自分の意思で動かすことが出来るのは随意筋。これはなにやら人間の分別智と繋がっているようだ。

 心臓や内臓は不随意筋でこれはなにやら無分別智で自分の意思では勝手に動かせないし、働かせられないものだ。

 自力意識も可動域は決まって、無明の闇だけは晴らせないことになっている。

 他力意識の仏の無分別心はだけど、完全ではないけれど、随意筋でも動かしすぎると故障したりする。

 そんな時、自らの意識と別れた時に初めて、随意筋と随意筋が突然仲良くなって稼働するように、自力もその限界を知った時こそ他力の世界の不思議な運命を持って働いていていることを知り、その時はじめて心の中に生きてはたらく如来が全ての人に生まれてくるのかもしれないな。

なんまんだ

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