なつかしい思い出

 ホームレスの人を見て可哀そうだと思う心が起こってくる。ビルゲイツの資産を聞いて驚く心がある。

 ブッダの言葉を聞いて興味を引かれる心が起こる。私の心にいろいろな心が起こるが、今初めて起こってくる心ではなく、今、言ったようなことをすでに似たような経験してきた過去があったからではないかと思うときがある。

 ブッダの言葉をいま懐かしく思う時、遠くブッダ在世の頃、ブッダの説法の坐にハエや蚊のような姿で近寄って聞いていたからではないかと思うときがある。

 人は今この世に起こっている残酷な事や幸せなことも多かれ少なかれ、すべて経験してきたのではないかと思うときがある。

 直接経験していなくても、間接的に見聞きしたことが私の心にも蓄えられて、命の共通遺産として遺伝子レベルに記憶されてきた。

 そんな数々の人生や六道輪廻と言うような迷いを経た心の記憶を持ってきたいまだからこそ、二度とそのような道に戻らないために、今ここに阿弥陀仏の声を聞き、最終解脱の道に出会わせてもらったのかもしれないな。

 だからこそ、どこまでも救いようのない我々のために、アミダの誓願一仏道は誰にでも開かれている最後の救いの道になっていたのかもしれないな。

 それまで我々は、迷いの道をどこまでも歩むことをいつまでも許されているのかもしれないなと思います。

なんまんだ

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