自力と他力の数学的考察

 
自力とは自分の智慧才覚の力をもって、自力の伝統的な教えのもと、修行して仏にむかって積み立て努力する。スタートの「0」地点からまず目標の「1」という出発からゴールまで進む「0」+「1」=1の道程なんだ。
最初の「「1」に到達しないと「0」のままで終わってしまう自力の道なんだ。もともとの、この「0」がないと成立しない「1」なんだ。だから自力とは1+0のコンピューターの世界のようだ。

 他力とは「0」×「1」=0になるんだ。蓄えようとする努力意識の実数が全部元の木阿弥の「0」になって消滅してしまう世界に気が付く事なんだ。
 
 他力とは量子コンピュータのように1か0か、蓋を開けるのでは分からないというような世界かもしれないな。

 結局、他力とはこの究極のすべての数字を支えている仏の絶対無限の満足世界の無分別心というアミダのなんでも0にする究極の満足世界のたらきに全てを任せるという世界なのかもしれないな。

 それに人間の分別心でいろいろなことをもう何も付け加えなくてもいい世界がすでにみんなに平等に与えられていたという事に気付けという事なのかもしれないな。
 ゴールがスタートでスタートがゴールという、気が付けば、真理の扉を開けばそこに私の答えが与えられている仏の世界他力の世界がそんなものなのかもしれないな。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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