輝き続ける0の世界

 1×0=0。この真実一如のなかに1も2も平等に収まってしまうのが0の世界。

 0は真実一如であり、「1」は一人の人とか存在するもの全てが「×」という、飛び込む、吸い込まれる、一つに成る。カオスになる。など、1が1のままで姿は見えなくなるが、いつでも「1」として安定して、安心して「0」のなかで生き生きと存在することが出来る世界でもある。

 もともと、「1」は「0」から生み出され「0」に帰ってゆく存在として仮にこの世に生まれて「1」という数や物事の始まりを現すが、そのためには根源的な「0」があって、その始まりが成立するのであろう。それは第一の母なる存在でもろう。

 仏教でいう「0」は真実一如であり、「1」はすべての存在を指すのだと思うのです。0が1になり1が0になる。

 きっと、この繰り返しながら真理を磨く永遠普遍の命の中に人間が生きているんだな。

なんまんだ

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