身につく

着物が身に着く。宝石が身に着く。
 だけど、これらが本当に身に付いたものになるには時間と経験が必要だ。地位もお金の使い方もそうだと思う。それなら念仏も信心もそうだろう。
 なむあみだぶつが身につくには、身に染み込み味や後光が射してくるまでには時間がかかるのだろう。
赤ん坊のような念仏信心から老人のものになるには、中身は同じでも本物の念仏者になるには、この身の芯までしっかり染み込むまでには、お浄土まで持って行けるまでには、それなりの時間がかかるのかもしれないし、そのままでもいいのに違いないい。

なんまんだ

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
念仏の矢が当たらない。(05.16)
長生不死の法を生きてみる。(05.15)
親鸞かく戦ぬ。(05.13)
ブッダと親鸞の常備薬。(05.12)
大谷翔平を信ずる心。(05.11)
今日の夢想庵。(05.11)
平和時代(05.10)
それが真っ逆さまに地獄に落ちている顔だ。(05.10)
闇は光の友達だ。いつも一緒で仲がいい。(05.07)
心は浄土空間さえも駆け巡る。(05.04)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS