今を生きていない

 今を生きるなんてできやしない。今、と言った途端に今はもう今ではないのだから。曽我先生じゃないけれど、我らに自覚できるのは純粋未来と言う仏を自覚している時の、無限の時の中にいる今の刻み以外に真実の時はないのだという事です。
 今は今の集まりがみんな今となっているから今と言う仮の時間の中の姿だけに仮相の今があるだけなのでしょう。
私の細胞一つでも、今の瞬間を取り出して死んでしまえば一つの固まった姿をしているけれど、実際は、次々にその姿を変えている。同じ姿かたちの細胞はないけれど、そんな、ない形が、骨や肉になりたくさん集まって、一時的に私となっているだけだ。だから私は今の集合体でもあり、その結果でもある。
 しかし、それを包む大きな今という存在の一部でもあるから、結局、永遠の今。無限の今の連続内の今の命の中にいるのだろう。そして、私のほんとの今の進む方向は、そこに還ってゆく道すがらの今にしかないと思います。

なんまんだ

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