ブッダの道

 お釈迦様は35歳で悟りを開かれ80歳で無為涅槃界に帰って行かれた。王子として生まれ、悟りを開かれた後で、私たちと同じような衣食住の生活はしておられた。
 そして、晩年には悪魔の囁きまで聞こえてきた。きっと本能も煩悩も我々凡夫と同じようにあったのであろう。しかし、優れた妙好人であったと言えることには間違いがないのであろう。しかし、一方で本能煩悩を持ったままで生きねばならぬ、ある人は養育費や教育費も払わねばならんといわれる。真実の悟りと言うものはやはり、それらを抱えたままでミダの本願念仏に照らされて生きて行くという事が我々人間に残された正しい唯一の道だったのではなかろうか。
 それが2500年の間、脚色編曲されてしまって、褒めたたえられすぎて、見えるものが見えなくなってきて、形だけに、言葉の解釈だけに囚われて行ってしまったのではないのではないのか。
 そうすれば親鸞の言った、お釈迦様は覚ってはおられるけれども、正定聚無為涅槃界に到る身となったという事で、まだ完全な仏には成ってはいない、まだ凡夫の心を持った人間であったことを証明された親鸞の言葉は,まことに尊く忝く感じられる。また、親鸞がご和讃の中でブッダが念仏者を「わが親友なり」と仰ったという言葉の裏には、そのような論理考証があった。こんなことを言った人は親鸞が日本で一人だ。と言われた小川一乗先生。信心の中味を自覚検証していけば、やはり、我々も同じような世界を、愚かな人間として道を歩んで行けばいいのではないのかと思うのです。

なんまんだ

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