本願修復

 
 人間国宝になった人や文化勲章クラスの、いわゆる名人の域に達した人達は用途に応じた数々の道具を持っていることが多い。画家の絵の具の種類の多さ,書家の筆の多さ。建具などの道具の多さにも驚かされる。大工は自分の手に会った手作りの道具。仏教学者などの書籍も図書館ぐらいの人までいる。
 その道具を場面、場面で器用に使いこなしている姿には驚かされる。
 その点、お念仏は完成品としての姿はたった一つだが、それまで本願と言われるものは諸々の願いと言う道具が下支えしているし、それ以前に法蔵菩薩が種々の下積みの修行をして、如何に多くの人が完全に簡単に素早く救えるかを基礎研究しているのだ。
職人も一つの作品を仕上げる動作は極めてスムーズな流れだが、一つ一つの作品を仕上げるためには、一つ一つの素材の性質を見極めながらなので、その度に一期一会なのだろう。
 道具が多くなるという事は製品の精度が上がり、多種多様な処理が可能になるという事だ。
 お念仏も、それまでに多くの人々が感動し、懺悔し、幾度も救済を与えてきたことかと思うが、人間もただ単に類型的な人間ばかりではなかったので、アミダ様の本願もその度毎に新しい本願を今日まで追加建立してきたのだと思うのです。ですから、これからも新しい環境が生まれ、新人類が生まれたならば、やはり、それに沿った本願が修復され新たに建立し加願され、救済もその制度を増し洗練され、さらなる躍動的で包括的になってゆくのだと思います。
 それに伴い、さらに本願の本源が純化され精緻になってゆくのでしょう。
 職人の道具の刃がますます研ぎ澄まされることによってその道具に輝きが増し、職人が真新しい道具を発明することによって、さらに新しい製品を作ることが出来てくるように本願も日々新たに修復増願しさらに清浄純化されてゆく事でしょう。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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