木守

―木守―
 柿やリンゴの収穫後に一個を木守として残すのは来年の豊作を願ってのことだという。
蜂や鳥のために残しているという。
禅宗の修行僧が鳥や動物や見えない餓鬼の為に一口ご飯を残すのと少し似ています。
 リンゴの木からしたら、リンゴはリンゴの子供でしょう。それを人間が育てたというけど、もともとリンゴはリンゴのものでしょう。リンゴの子供の成長を最後まで見たいのは人でも同じでしょう。リンゴの木は子供のリンゴを大地に産み落とすまでが親の責任なんでしょう。そんなリンゴの親の気持ちを汲んで強欲な人間の一人が申しわけないなの気持ちで、せめて一人だけでも最後まで見守ってやらせたいと思ったのでしょうね。
 そんな感謝と懺悔の気持ちが籠った気持ちがあって残したのでしょう。リンゴに生かされているからこその自然な人間の気持ちでしょう。
 木守の思想は長い間に人間の方がリンゴの木から教えられた思想でしょう。リンゴの命も人間の命も平等だという考えから出て来た気持ちだと思います。感謝しているのはいつも人間の方だと思います。
 柿やリンゴを食べているといつかリンゴや柿の気持ちが分かるらしい、リンゴにも人間と同じ精神が木魂と言う言葉でいまの日本人には伝わっているらしい。
 人間はリンゴを育てているんじゃない、リンゴから人間が育てられているんだな。
二人で一緒にあみだ仏に育っているんだな。
なんまんだぶつ
なんまんだ

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