石を積む

 仏の言葉が書かれたものを読み始めは仏の言葉が書かれた石を積むようなものだ。ひとつ積んでは、また一つ積み重ねる連続だが、いつもその石の上に立っているのは自分なのだ。
 その石を天井まで積み上げて、いつかそのバランスが崩れて壊れてしまうまで生きている限り積み重ねてしまうのが仏道だと信じてしまうのだ。
 だが、人によっては、それがいつか仏と私の時が熟した時、せっかく積んだ知識の石が足元から崩れて地面に落ちた時初めて、だれでもが最初っからアミダの大地にいだかれていたことを知るのだろう。
 この宗教体験がなければ、だれでもがこの当たり前の大事な世界に、何時までも気がつくこともなかっただろう。これも、石が崩れ去ったおかげだな。崩れ去って気が付いた後でも生きてる限り積んで行く。だけど今度は積んでいく石は人のため、我の為になってゆく。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

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