内に超えて外に立つナンマンダ

アミダと呼び続け、助けられたいと思って救われたとき、向こうの方がすでに私を呼び続け、自らアミダと名乗っていたことに気が付くものでしょう。救われたときがなければ,いくらアミダが名のっていても、他人事でしかない。この客観的事実が私たちの内在的超越となって私の主観的な事実になっとき、弥陀経意和讃(486)「阿弥陀と名づけたてまつる」、唯信鈔文意(554)「心も言葉も及ばぬ一如よりかたちをあらわして」との宗教的真理が私に於いて救済の事実となった時はじめてこの名乗りが成立するのである。

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
念仏の矢が当たらない。(05.16)
長生不死の法を生きてみる。(05.15)
親鸞かく戦ぬ。(05.13)
ブッダと親鸞の常備薬。(05.12)
大谷翔平を信ずる心。(05.11)
今日の夢想庵。(05.11)
平和時代(05.10)
それが真っ逆さまに地獄に落ちている顔だ。(05.10)
闇は光の友達だ。いつも一緒で仲がいい。(05.07)
心は浄土空間さえも駆け巡る。(05.04)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS