南無阿弥陀仏は人間の魂の実在を示す言葉。

 
 あみだ様が法蔵菩薩の修行時代に、自らの命を捨てても、すべての人が本来の人間の宗教心に目覚めてほしいと自らの命を捨てても救うという願いを立てたことが現在も個々の救済によって証明されている。

 この法蔵魂の宗教物語が人間の人格形成の原点としたら、人が人になるためには自らの命を捨てても人を救うことを惜しまない精神を育てなければならないようにできていることになる。

 その完成した喜びが宗教心と私から一つになって初めての出会いの感嘆の声がなんまんだぶつであり、そこにはそれまで私を育ててくれた宗教心の感動を持った人々である諸仏の喜びも詰まっているのだ。

 アミダと私と諸仏の出会いが時空を超えて私のなんまんだぶつとなっているのである。多くの言葉をこえた魂の言葉が本当のなんまんだぶつとなってきたのかもしれません。人間の魂の実在がなんまんだぶつという形になっているのかもしれません。
なんまんだ。

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