くるくるくる。

 来る。見えてくる。賜る。聞こえてくる。これらは如来が私たちに現れた時のすがたに使う言葉だ。

 宗教心の自立性、独立性、永遠性や無量性を現している。

 宗教心の種に伝統の水や無量の時が育てた肥料を施さないと信心の種から念仏の花が咲かないように、相対的、限定的な命に立つ我らの努力がないと枯れてしまう。

 最後の花の咲く春までは、こちらからの営為は意味をなさない時に咲くから、そこに目覚めるのは一層困難なのである。

 求めてもえられない、求めずして与えられる存在だから、それが永遠生保独立性を損なわないものが我らに残された唯一の仕草なのである。

 なんまんだ

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