来るということ。

 自力意識は「観える・聴く」。他力意識は「見えてくる・聞こえてくる」というあみだの仏力意識。他力が「くる」で「聴く」ではないので一見消極的に見えてくる。

 しかし、仏力の本願力は強力で絶対的な真理の用きだから、それを抑え込んでいた自力意識が一時的に主体のように見えてくる。
 しかし、仏法を聴きぬけば、やがて、いつかは今まで囁き程にも聞こえてこなかった声が、その、真実目覚めよと、かねてから目覚めよと呼んでいる遠くかなたから聞こえる仏の呼び声が、決して私からは出てこない呼び声として、いまは身近な諸仏の大音声の本願念仏として聞こえてきていることに誰でもがいつでもどこにいても気付かさせてもらうものなでしょう。

なんまんだ。

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