私の強い意志でこの世に生まれました。

 人は偶然、事故のようにこの世に生まれてきた自己に責任はないという。それならこの世と自身の生き方に何も責任が生まれないのだろう。

 ここにきて私はそうは思わなくなった。

 人に生まれた責任もなく最初から自由な存在だというのだろうが。仏に出会ってから私はそうは思わなくなってきた。

 人だけがこの世に何しに生まれたのか問えるものらしいが、それなら、それを仏に問うたなら、お前は本物の自分自身になっていないという課題を突き付けられたのだ。

 よその人から言われ自分で勝手に考えていたならそうではないといえるものかもしれないが。とにかく、神や仏は人より一枚上の人だから、そう簡単に違いますとは言えないな。

 犬や猫やトンボや日に輝く木々や虫。自分自身がそれにも劣る存在としか思えない時もあり、人は人になることがこの世に生まれた宿題で、それを放り出すのも、片付けるのも時の運かもしれないな。

 私の当初の課題はそんな高尚なものでもなく自分勝手のただの家庭問題がそこにあっただけ。それでも本当の自分自身になりたいという今まで自身のどこにもなかった清浄意欲がどこからか私に湧いてきた。

 そこから考えて元に戻ると、やはり、ここが人間の原点だとしたら、たった一回切りの人の人生に生まれてきたならば、こいつが私の一番大事な、みんなの宿題ならば、やはり、自由気ままに誰かが勝手に生み、育てたんじゃなくて自分自身の深いところにある、手も触れられない清浄意志がこの煩悩まみれのこの私をこの世に押し出してくれて、ここに連れ出したに違いない。

 自分の意志でこれをもってこの世に生を受けたに違いない。それで悲しくなった私は清浄意欲が姿になった信心念仏の自分自身に会いたくて、自分を超え包んでいる広い世界に帰りたくて、きっと、この世に一度生まれたくて自己責任で生まれたに違いないと思うのです。

なんまんだぶつなんまんだ

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