仲良くしようや。

極楽往生は真実一如の縁起空の世界を認識し、その世界に目覚め帰ってゆくと言う事なのでしょう。

それでは念仏とか信心とは一体何でしょうか。それは真実縁起空の世界への扉であり誘いなのでしょう。

その内に生きていながら分別苦に一生悩まねば生きていけない人間の業ともいえます。

それ無くしては生きてはいけないと言う無分別との共存があればよいのでしょうが、ともすれば分別心の方が我々は理解しやすく、人間の意識の認識に叶う味方なので、そちらを大切にしてしまうのですが、そうではなく否定的な肯定存在としながらも両立してこそ真実に生きて行けると言うのが本来の人間の生き方として先人が仏の智慧を持って生きてきた真実への精神的な歴史があったからなのではないかと思うのです。

その徹に従って生きてみれば真実のはたらきの自然さが我々には本来必要だし、道理にかなった生き方に本来なっていると思うからなのです。

なんまんだ

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