我れ眼光紙背に徹せず | カラスの独り言

我れ眼光紙背に徹せず

 正信偈の解説書を読んだり教行信証の歴代の講義本を読んだりして、教えの深さに驚く。

 でも、それらはほかの人の味わったものだな。それとは違う新しい見解が論文などで出てくる。それらをまた学んでいくうちに年を取ってしまう。

 それらはとても大切なことで、それがないと説得力がなくなってしまう。だけど、自分に信心と言う仏の眼を頂いたなら、例えば正信偈の「帰命無量壽如来」の無量とは何かを自分自身の頭で同じ言葉を繰り返し、時間を掛けて自分の言葉になるまで眼光紙背に徹し精読できるまでになったらいいなと思うだけの人生になってしまった。

 私に温故知新ももう無理になってしまった。

 なんまんだ

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