ゴミの喜び

 ゴミが念仏に会った途端にゴミと言う名前からその本質に戻って本来の命があった時を思い出し輝き出すようになったんだ。

どうにも始末に負えないゴミがゴミとして本来の面目躍如とばかりに輝きを増す時が来たんだな。

 ゴミの存在が、ゴミとしての本来の居場所にかえって本来の生き生きとしていた時を思い出しただけなんだ。
 それをゴミがゴミになったという事だ。
 仏にさえ承認されたゴミ仏にやっとなれた時がいま来たんだな。
 ゴミが運命と悟ったときなんだ。
 ゴミが自分の運命を喜んで引き受けた時が来たんだな。

 ゴミがゴミでよかったと自分の運命を引き受けて本当のゴミになったんだ。
 ゴミが立派にゴミ仏として今しっかり立派に成仏したんだな。今、ゴミが喜んで泣いている。

なんまんだ

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