光力

 本願の勅命とは真実からの見えないが実存する真理への吸引力パワ−。ブラックホールに少しでも引っかかったら、光でさえも吸い込まれてゆくというような力、エネルギーを親鸞は光と言い道と言い、信といい、使いと言い、よりかかりより頼むを帰命とした。
 こちらの力では決してあらがえない、一方的な本願と言う真実への真っ逆さまに落ちていく。それに対して逆噴射して一生涯をかけて逃げてゆこうとするわれらを「帰命」真実の命、招き引く。
 この世に生まれてくるときも真実に逆らい後ろ向きでこの世に出てきたものが、今度もまた、後ろ向きで反逆したてまつって帰ってゆく姿。その心理の命から招かれた、招き引くパワーとして意味づけようとした。
 これは正しい理論や人間の小さな知性で理解できる世界や出来事ではなく、あくまでも宗教的な非論理的な
不合理的な正しい心理の働きの道理に心理に基づいた真に正しく厳密な宗教的な表現なのである。

なんまんだ

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