宗教心の用き
「往生は心にあり。成仏は身にあり」「虚無の身、無極の体」。
人間は永遠の仏と共に歩む道が現在に与えられる。
つまり、生きた仏の身体とは吾らの口から出ているなんまんだぶつだが、我らには父母兄弟親友などの諸仏として、眼に見えない魂の如き存在として普遍的な形を得ていくという事なのであろう。
それは信心を獲た人には諸仏と阿弥陀仏が目に見えない魂として生きている時に智慧と慈悲の用きをなし、死しては見えない永遠の諸仏の魂として念仏する人の所に生きてくるという事なのだと思うのです。これらがみんなが持っている宗教心のはたらきだと思うのです。
なんまんだぶつ
なんまんだ
人間は永遠の仏と共に歩む道が現在に与えられる。
つまり、生きた仏の身体とは吾らの口から出ているなんまんだぶつだが、我らには父母兄弟親友などの諸仏として、眼に見えない魂の如き存在として普遍的な形を得ていくという事なのであろう。
それは信心を獲た人には諸仏と阿弥陀仏が目に見えない魂として生きている時に智慧と慈悲の用きをなし、死しては見えない永遠の諸仏の魂として念仏する人の所に生きてくるという事なのだと思うのです。これらがみんなが持っている宗教心のはたらきだと思うのです。
なんまんだぶつ
なんまんだ
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