一升瓶 | カラスの独り言

 一升瓶

 一升瓶の水がカラにならないと次の水が入らない。この話を聞いて、ああ、そうだなと思う人は多いだろう。だけど実際にビンに水を入れて出して、また入れてみた人はいないだろう。
 仏を疑う事も疑いの栓を抜かないと水そのものも出せないのだ。アミダ様に栓を取ってもらうと言うことは一体どういうことなのか。
 信心も目に見える行動をとらないと、どうしても自分の頭の中だけや、相手の言葉を自分の頭の中で検討しているだけで、アミダ様の法を見ないから増々、離れていくのでしょう。
 ビンの中にある、もう役に立たなくて腐れて来た今までの知識や信仰経験はもう腐ってきているからパンク寸前だから苦しくなっている。
 分からん、分からん自分の頭では理解不能というけれど、アミダ様はそのビンの中の腐敗した苦しさ臭さを知っていて、私に栓を抜かせてくれと言っているだけなのに。その線が抜けないように中から必死に抑えているのが今の知識をただ誇って積み上げている自分がここに誇っているだけだ。
 栓が取られたらもぬけの殻になってしまい、もう、この世では生きていけぬと、うすうす恐怖を持って知っているから、丸裸、子供にもう一度帰れと言われても、裸になれと言われても、なかなかなかなか、出来ません。
 だけど今のそのままじゃあ、カエルのお腹に知識の空気がいっぱい入りすぎ、このままではやがてパ―ンと破裂してしまいそう。
 だから、もう苦しいのだからその栓を握っている心の手を放すしかその方法はありません。   
 極重悪人無他方便は、もう手も足も出ません、だけどそれでよかった、助かったと言う敗北と共に人間の真の勝利宣言でありまして。それが阿弥陀様の勝利宣言本願成就であるとともに完全な凡夫になった凡夫の完全勝利宣言と全く一緒の両勝ち組の出来上がり。
 これを信心成就とも本願成就と申します。
無量無限のアミダ様、ずっと私一人を我が子、我が事と思い、勝を今までずっと私に譲ってくれていたことが、負けて初めて、仏の位を人生はじめて負けて勝を譲ってくれたことに気が付くときがある。

なんまんだぶつ
なんまんだ
 

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