破沙盆 | カラスの独り言

破沙盆

 「破沙盆」とは「禅語字彙」には「破れすり鉢。無用物」とあるそうだ。これは、禅者が覚りを得た後の心境だと思うのだが、この世では一切役に立たない、見捨てられたような存在だと気が付いたという事だが、一切の人間が要求する形にはない、仏から与えられた自由そのままで生きて行くことが出来る世界を得たという事にもなるのであろうか。親鸞も「唯信鈔文意」で「いし・かわら・つぶての如くなるわれら」と述べている。
 ただの石・かわらのようになんの取り柄もない無用の長物のようなわれらこそがアミダの本願のおめあてなのであり、いしかわらつぶてが、その性質を変えずに変成金剛の輝きをやがて持つと言うのである。これはアミダ如来の信心を獲てアミダ如来に救済された喜びを語っている文章である。
 共に形にとらわれず元の自然の大地に帰ってゆく途中の人生に生きられる世界を楽しみ、自由闊達な人間性を取り戻したというところでは同じ世界を現していると思った次第である。

 なんまんだぶつ
 なんまんだ

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