覚らせないものが仏さま

 人間にはいつ死んでもいいという宗教的な信念を持つことは出来るが、一方、蛆虫になってでも命を長らえたいという煩悩も持っている。だからいくら信心や悟りを得ても飯は食うし糞も出る。そんな姿だけを見れば信心も悟りも糞喰えという事になるのだ。だが、仏のみぞ知る世界で生きることになるのかというとそうでもなく、時々、真顔で真理を語るから凡庸な我々は時々面食らうのである。悟りも信心も所詮は個人的世界のものだが、そんな煩悩や、本能を超えた世界もありますよと言うぐらいで生きて行けばいいのかもしれないと思うようになりました。煩悩を持って完全に覚らないままで生きて行く。完全にこの世では悟らせない煩悩が仏様のままで生きていくのが気楽で、人らしくて悲しくて、やがて嬉しいくらいが丁度いいのかもしれません。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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