―心のRQ―

知能指数のIQ
対人関係能力EQ
逆境指数AQ
があるとすれば
宗教指数RQ(Religion)もあるのだろう
 宗教的知性は人間の根源的な心のはたらきだとすれば、その他の知性Qと違い、より人間の日常生活の根本に近い位置にいるのであろう。 とすればより高い日常生活の知性の向上と逆方向のみに近いところからたらきだすものだ。
 むしろ、日常の知性生活が宗教的な意欲から働けば働くほど遠のくのに比べ、
その底が打ち破られたところでその底から働きだす根源的な人間の欲求意欲と出会うと言ってもいいはたらきであろう。
 日常生活の知性がより強く働く人がより宗教的でなくなるのはこの逆相対関係
の違いによるのではないのでしょうか。知性の高い法然聖人や高学歴になればなるほど科学者たちなどもこの関係に収まってくるのでしょうるしかしるでは知性が低ければ宗教的知性が高いのかというわけではなく、日常生活の活動に忙しく近い立場にいても逆に取り忘れていることもあります。
 この宗教的な理性と日常の知性との融合はどうもその境界を打ち破る突発的な非日常精神から、非合理的な精神が生まれて来た時に起こるような気がします。
高い知性の人はその限界に気が付いたとき、日常的な知性の人もその非日常生活に陥った時などです。
 どちらも大変なことが起きているのですが、より知性が高い人の方が今までの知性的経験が根源的宗教的な知性から遠ざかっていた分より精神的な苦悩がより増しているような気がします。かといって日常精神が低いからと言って根源宗教に近いからと言ってもこれも逆に日常生活が忙しすぎて宗教的な智瀬水にまでいかずに日常生活のおけるいわゆる現世宗教の御利益で子と澄ましてしまうは愛の方が多くなる可能性もあると思うのです。
 元々、宗教指数は誰においても平等に働くので、それぞれの精神的宗教的な環境からの影響も多いと思われます。科学者や医者であっても幼い時からの宗教的な情操教育を施された人は早くから無常非常の世界に目覚められより高い精神生活を送るために宗教に目を向けられる方も多いからです。

 RQ以外の知性能力はみんな逆向き、上昇思考だ。しかし、RQ指数から能力が増すと遠ざかるだけだ。有能になればなるほどその数は少なく範囲が狭まる。
RQ指数は仏の指数が下がるほど知性の幅が広くなる。
 これは仏の教えを大切にするからその人もよき人、大切な人になってゆくのだろう。RQの絶対評価が下がるほど仏の真実に近くなり、人間の判断基準となる相対評価を離れてゆく。仏の考えに近くなってゆくにつれて、自己評価が下がってゆく文真実評価が高くなってゆくという相関関係になってゆくのだ在る。
(縦線を知性能力、横線をRQ知性とし、それぞれゼロから45度で右肩上がりに上昇する直線)
という意味での「よき人」とはもっとも人間てきな人間なのだ。仏から与えられた線人格的な基礎が出来ているという人間を指すのである。人間の知性の能力評価となった時、人間の正しい評価も基本から見直さねばならなくなってくるの野ではないのでしょうか。
 下図の反比例図の0ポイントの原点のx線にふれるとRQ能力が発起する。y縦軸がRQ以外の知性。横軸xがRQ指数。例、yがRQ以外の知性能力が高くなるほどRQxは低くなる。y知性能力が低くなるほどx知性能力が発起に近くなる。
 y能力が0ポイントになった時、y能力を持ったままでx能力、RQ知性能力が両方とも生かされてくるのである。、

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