いのちの記憶

 今までいろいろなものを食べてきた。みんな私と同じ命を生きてきた。海や陸で自由勝手に生きていた命だ。
それらには、それぞれの人生があったのだ。そこで生きてきた記憶をみんな体と心に刻んでた。それを食べてる私の血や体になって私は大きく育ってきた。命でない食べ物は一つもなかったのだ。食べなければ生き残ってこれなかったのだ。 
 だから、私の体からわたしの心の奥にそれらのいのちの記憶がいっぱい溜まって詰まって満杯だ。いろいろな命が私になり、私が命の連絡係になり、命のきおくを伝えることが、死んで行ってくれた命に対する正当な贖罪と感謝になるのだ。
 だから、私の命はわたしだけでなりたっているのではないのだ。様々な命の中で生かされている命のひとつにすぎないのだ。謙虚にこのたった一つの命の輝きを命たちと生きようではないか。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

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