自己責任はどこにあるの

 自分の人生はすべて自己責任だと自身に納得できれば、最後の責任から自分自身が解放されるのかもしれません。
 つまり、自己責任の最後は宗教というものにこそ私は究極の自己責任の出どこがあると思うのです。
 なぜなら、それまでの自分で築いてきた人生観が根本的に変わってしまうからです。そこから出たものでなければ自分自身との最後の命のやり取りができないからじゃないですか。

 その意味で宗教というものは、すべて他人が決定するのでなく、最終的な自己とするものによる自己自身のための決定でなければならないと思うのです。  
 なぜなら真理はすべての人のための一義的な人格的な表現を伴った者でありながら、全ての人を救うという普遍的な要素を持った存在でなければならないからです。
 肉体を持たなければ真理に到達できないという不便さを持っている以上、真理そのものにはなれないからです。
 真理はそういう意味で透明でありながら実在に何時も接触している存在であらねばならないからです。
 だから、本当の意味での宗教とは究極の独善主義を人間にもたらすが、その中に愛や智慧という無限の命と智慧という、すべてを目覚ましめる輝きを持ったものでなければならないからなのです。
 ここにこそ自身の決定を持った者こそが最後の自己責任を持つもことができる人となり人間になることができるのであり、他者の決定による責任論は自己を見失った依存や逃避論に陥らざるをえないことになるのである。
 つまり、神や仏との直接的な対話による自己自身の最終的で決定的な救済が自身の中に自己実現しなければ、結局、最後の責任は他者に委ねることになってしまうからです。
自身の人生はやはり自律的であれ他律的であれ、たった一回だけの人生の責任者は私一人だけなのですから、完熟した人生にするものはこの決定から人生の全てが始まるように考えるのです。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

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