たぶんこうかも

 アミダさんは真実の愛と勇気と希望の純粋な活動体である、すべての命の根源を表す象徴的な活動なので、このままでは相対的な命の世界に行けないので、あえて人間の命の限界に合わせて無限の命と智慧の活動を限定して言語化したのである。ここにすでにアミダの悲しみと慈悲と痛みが存在するのである。
 譬喩的に言えば、プロメテウスのように、人間が天上界にあった真理の火を無理に奪い取ってきたのである。その罰が人間の根源的なアミダへの反逆罪として自我意識に深く刻まれ、その苦悩が人間すべてに永遠に刻印されたのである。
 信心はその意味でアミダへの反逆罪の自覚と救済を同時に自覚させられる五逆罪として人間が背負うべき永遠の贖罪となった。
 それはアミダの痛みと悲しみを伴う無限の慈悲と智慧を人間が人生でたった一回、真理体験する機会を信心獲得としてアミダと直接つながることができる機会として与えられたのである。
 アミダからもらった真理の活動の活用は人が生きている限り阿弥陀から許されても、それは人間が生を終えるまでのもので、最後の人間の贖罪の完成はアミダの身元に帰るときまで残されたということになるのである。
 人間の意識と無意識のはたらきが軋轢を伴って統一するとき、人間の心には真理たる無意識が無意識の活動を失わずして意識化されるとき無意識の痛みが初めで人間の自我意識に感じられるのである。
ナンマンダブツ
ナンマンダ

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