カラスの独り言
ー泣き仏ー
 ダルマさんとは仏様に手も足も出せなくなった人のことです。
 神仏に対しああでもないこうでもないとか分かったとか分からないなんて言ってるうちは神仏に手を出し足を出しついでに口も出しているのです。
 それらは理解や信じようとしている心でなく、自分の世界に仏を引き入れようとしているだけの邪険な心その心が働いているのです。そのうちはホントのダルマでなくまだ悩み多き人間にとどまっているのです。
 その人間の思慮分別も滞りは足らなくなってやっと仏様の方が手を出せるようになって、救いの手が出せるようになるのでしょう。だから仏様が活躍できる心的環境を作ることが大切です。
 それまでは仏様がまるで泣いてる赤子をなだめすかすために、いろいろその子の立場まで降りて一緒に泣いてくれる。それもそれ以上の仏にするためです。泣き止むまでひたすら一緒に泣いて待っていて下さっているのです。
 念仏するなとか、なにも手も足も出すな止めろと言っているのでない。手出しをすることに意味がなかった、いくらこの手を出したままでは救われないという事です。自分の思うように救ってほしいというのは本当の救いになりません。人間世界の救いです。仏の世界の救いは完全なる救いなので救われた世界の質が全く違うのです。
 だからそれまでは手出しをする事の意味のなさを知るためにやはり誰でも手を出すしかないのです。
 この仏に包まれた意味のない世界、自己の限界、生死の限界を超える問いの答えは人知の範囲では無理という事です。これをお任せの世界といいます。
 助かっても悲しい思いはなくなりませんか世悲しみの質が変わってきます。泣きながら救われるので私は自分のことを泣き仏と思っています。

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