金魚〜。金魚〜。なんまんだ〜。なんまんだ〜。

宗教心の表現は何もその道の専門家の得意とするところではないと思う。詩や絵画や農業やサラリーマンの人でもその道の言葉でいくらでも可能なのだ。

神の国や浄土だけにとどまらず、この世の矛盾と自己の矛盾を併せ持ったままで表現すれば、それはすでに深く尊いところからとどく仏の言葉として自ら頷くことができ、人にも深く伝わって行くものなのだと思うのです。

特定の時所で特別の修行しなくとも与えられた仕事を修行とすれば、それを創造してゆくことで宗教言語ではなくてもその仕事で使う表現でその世界を表現していると思うのです。

その調和的な表現を総称して昔から美しい言葉でなむあみだぶつとして伝わってきたのではないのでしょうか。
なんまんだ。

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