二億五千万年のダイヤ

二億五千万年も埋没していた貴重な砥石が京都で取れるそうだ。

私が念仏しても今すぐには誰も振り向かなくとも、それを聞いている樹木や、虫や、大地や空気の振動などがわずかでも地球のどこかにかすかな痕跡を残してゆくのだろうと思った。

だから安心して、人のいない所で植物たちやカラスに念仏しても大丈夫なのだと思った。私を掘り出すのではなく、埋もれていても輝いているお念仏を掘り出してほしいのだ。

私以上に阿弥陀様はもっとすごくて、何十億年も私の魂が気付かずにいたのは、私が勝手に掘り出さずに埋めていたようなものだからだが、それでも、その中で息づいていて、念仏一つで命あるもの皆救うと本願を立てていて、それが私たちに生き生きとよみがえってくるのだからのだから、なおすごいのだ。
なんまんだ

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