現実への旅

 最初から他力本願の中にいるのだと勝手に思い込むのではなく、それが、わが身にとって本当に確信が持てていることなのかと自分自身で確かめなければならぬ。自力で求めて求め尽くせぬと理性的にわかっていて求めるのであるから、どこで死を下してもいいようなものだし、他人にも納得してもらえそうなものだが、どこまでが自力なのか、どこからが他力なのかは自らの理性と知性と求道心や菩提心と言うものを持って自力の壁にぶち当たらなければならぬ。その壁を超えると、そこには自力を超え包んでいた不可思議の人間の相対概念を超えた無分別智と言う人間が本来持っていた総合智がすでに働いていたことに気が付くのである。このような不可思議としか言いようのない総合的な智慧慈悲世界が誰でも持っていて、誰にでも与えられるような仕掛けに人間は出来ているのである。宗教心を持つことが今では非常識なのだが、それが常識だった時代が遠い昔にはあったのである。

なんまんだぶつ
なんまんだ

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