いやでも繋がっていたいんだ。

 宗教心は自己を正しく知らせる真実を映す恐ろしくて愛に満ちた鏡だ。今の自身が行為することは例えば縦軸に私の先祖父母がいて、子供や孫となってゆく三世の縦軸だ。

 横軸に私の減殺過去未来の魂の救済までのあみだ様との関係が頂ける。この二つの歴史が多くの命に支えられていたことも証明されてくる。私の横軸を取り出せば、救われてみれば私の深い闇と仏の光に包まれていたことも知れてくる。

 二つの軸が交わる中心にいつも宗教心という無限宇宙につづく基点に支えられていたことに気が付けば、私の救いが全宇宙の命が救われている。いままさに躍動しながら輝き歓喜懴悔したまま真実につながっているという事だ。

 宗教心という無限の大いなる働きが無限宇宙に繋がっていないわけがない。

 こんな宗教宇宙の真実ならばその中に生かされている私の不思議を喜ぼうではないか。宇宙の果てまでインターステラしなくとも、なんまんだ仏の中に全宇宙がすでに包含されているのだ。 

 だから私一人のなんまんだ仏の宇宙空間があるから、全ての宇宙の命達と無機物たちとも今も知らぬうちに一体となって呼び合っていはずだ、呼応しているのだ、今の私たち。

なんまんだ。

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